Tuesday, October 12, 2010

日本人の平均寿命 過去最長に

去年の日本人の平均寿命は、女性が86.44歳、男性が79.59歳で、男女とも4年連続で過去最長を更新していることが厚生労働省のまとめでわかりました。女性は25年連続で世界一、男性は5位となっています。

厚生労働省によりますと、去年の日本人の平均寿命は女性が86.44歳、男性が79.59歳で、前の年に比べて女性は0.39歳、男性は0.3歳伸び、いずれもこれまでで最も長くなりました。日本人の平均寿命は平成12年以降、季節性のインフルエンザが流行した平成17年を除いて、男女とも4年連続で過去最長を更新しています。これについて厚生労働省は、医療技術の進歩などで3大死因とされる「がん」、「心臓病」、「脳卒中」のほか、肺炎など病気の治療成績が年々上がっていることが要因の一つと分析しています。平均寿命が公表されている主な国や地域と比べると、女性は、2位の香港を0.34歳上回り25年連続で世界一、男性は、カタールや香港、アイスランド、スイスに次いで世界5位となっています。また、3大死因をあわせた割合は男女とも50%を超えていますが、仮にこれらの病気が克服されたとした場合、平均寿命は、女性が6.99歳伸びて93.43歳、男性が8.04歳伸びて87.63歳になるということです。人口問題や高齢化などに詳しい日本大学人口研究所の小川直宏所長は、「日本の平均寿命は、今後も右肩上がりで直線的に伸びていくのに、仕事の定年はほとんど延長されない状況で、これからは年をとっても働ける制度を作っていく必要がある。さらに裕福な人と、そうでない人の生活レベルは、より格差が広がっており、世界でも例がない高齢化のスピードにセーフティーネットなどの整備が追いついていない。今後は、誰もが長寿を喜べるような社会保障のシステムを整備していく必要がある」と話しています。

電気買い取り 家庭に追加負担

二酸化炭素の排出削減に向け、再生可能エネルギーで発電された電気を電力会社が買い取る制度について、経済産業省は、太陽光だけでなく風力なども買い取り対象に加えたうえで、家庭には最大で月に200円程度の追加負担を求めることを正式に決めました。

これは経済産業省が23日に開いた有識者を交えた会議で正式に決まったものです。それによりますと、家庭の太陽光発電で余った電気に加えて、企業などが太陽光で発電した電気も電力会社に買い取り義務を課す、「風力」や「水力」などの再生可能エネルギーも買い取り対象に加える、としています。それに伴う費用は、電気料金に上乗せされ、制度開始から10年後には、夫婦と子ども2人の世帯で、電気料金の追加負担が最大で月200円になるとしています。経済産業省は、詳細な計画などを年内に策定し、早ければ再来年の導入を目指すことにしていますが、太陽光パネルを設置しない家庭もあるなかで、負担の公平性をどう保つかが課題となります。新たに決まった制度について日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会の辰巳菊子常任理事は「月200円の負担はコーヒー1杯分の価格なので、何のために払うお金か理解できれば、消費者にとってそれほど大きな金額ではないと思う。ただ、国はきちんと理解させるための努力が必要だ」と話しています。また電気事業連合会の矢野伸一郎広報部長は「今回の制度は、すべての国民や企業が納得して協力してもらわないとうまくいかない。そのためにしっかりと説明し、国民が十分理解できる周知期間を取るよう、国に対して強く求めていきたい」と話しています。

厚労相 来日は生活保護目的か

日本に親族がいるおよそ50人の中国人が相次いで来日し、大阪市に生活保護を申請した問題について、長妻厚生労働大臣は、生活保護を目的に来日した疑いがあるとして、適用を見送っている大阪市の判断を支持する考えを示しました。

この問題はことし5月から6月にかけて、大阪に住む中国出身の日本人の親族あわせて46人が相次いで来日し、大阪市で生活保護を申請したものです。これについて厚生労働省は「来日の目的が生活保護の受給だった場合は保護を適用する必要はない」という見解を示し、大阪市は「生活保護が目的のケースに当てはまる」と判断し、適用しない方向で検討を進めています。長妻厚生労働大臣は23日の閣議のあとの記者会見で、「来日した人数が非常に多く、目的が生活保護に直結する疑いがある」と述べて、大阪市の判断を支持する考えを示しました。一方、親族を頼って来日するほかの中国人にも影響を与えるのではないかという質問に対しては、「あくまで大阪市のケースだけを想定している」として限定的な対応だという認識を示しました。生活保護を申請した46人の中国人については、大阪入国管理局が進めている調査の結果を待って、大阪市が最終的に適用するかどうか決定することになります。

ASEANフォーラム 開幕

アジア・太平洋地域の安全保障を話し合うARF=ASEAN地域フォーラムの外相会議がベトナムで始まり、韓国の哨戒艦の沈没事件をめぐって、日本、アメリカ、韓国の3か国と北朝鮮の間で、激しい議論が交わされているものとみられます。

ARFは、日本時間の午前11時半前から、27の国と地域が参加して始まりました。今回の最大のテーマは、韓国の哨戒艦の沈没事件をめぐる北朝鮮への対応です。岡田外務大臣は、アメリカのクリントン国務長官や韓国のユ・ミョンファン外交通商相と連携しながら、北朝鮮の行動を厳しく非難し、各国に歩調を合わせるよう呼びかける方針です。一方、北朝鮮からは、パク・ウィチュン外相が出席しており、事件への関与をあらためて強く否定するものとみられ、日米韓3か国と激しい議論が交わされているものとみられます。会議は日本時間の夕方まで開かれ、議長国のベトナムが議長声明をまとめることにしており、北朝鮮への非難を強めることに慎重な立場の中国や、北朝鮮と国交を持つASEAN各国から、日米韓3か国の主張にどこまで同調を得られるかが注目されます。

駅で制服

世の中、顔と名前が一致しないことがあります。
  電車の中で背広姿の紳士に挨拶されて、顔はよく見るけど、その人がどこの誰だか思い出せない、ということがありました。翌日、駅で制服を着て、赤いラインの帽子をかぶっていて「駅長」だと気づきました。職業上の制服と私服など、間違いのもとです。
  ある時、恥をかいたことがあります。
  会社の部長と歩いていると、知り合いの人に、ばったり出会い、
  「いや、どうもご無沙汰しております。お世話になりっぱなしでどうも。」
  と挨拶されました。私は誰だか思い出せません。
  部長は、ニコニコしながら、
  「須藤君、どちらさんでしたっけ。」
  こちらは、確か取引先のそれも古い担当者だった、としか覚えておりません。おどおどしていると、「随分前ですが、こちらのほうへ変わりまして。」
  と名刺を出され、ことなきを得ました。
  この後、部長に面白い方法を教わりました。部長は、大勢の部下を持っていますが、一人一人覚えているわけではありません。
  「部長お元気ですか、ご無沙汰いたしております。」といわれると、即座に
  「いやーしばらく、ところで名前はなんといったっけ。」
  部下は名前を忘れられたことに気を悪くし、
  「私、どこどこの山田です。」
  というと、部長は切り替えします。
  「山田君知っているさ。名前だよ、名前のほうはなんだったっけ。」
  「二郎です。山田二郎です。」
  「そうだそうだ二郎君だった。うんそうだった。」

“参院選格差は違憲”と提訴

今月11日に行われた参議院選挙で、1票の価値に最大で5倍以上の格差があったのは選挙権の平等を保障した憲法に違反するとして、弁護士のグループが、選挙のやり直しを求める裁判を起こしました。
今月11日に投票が行われた参議院選挙では、議員1人当たりの有権者の数が、最も少なかった鳥取県選挙区と、最も多かった神奈川県選挙区で、1票の価値に5.01倍の格差がありました。これについて、弁護士のグループが、選挙権の平等を保障した憲法に違反すると主張して、東京高等裁判所に選挙のやり直しを求める訴えを起こしました。このグループは、来月までにさらに全国14か所で裁判を起こすということです。参議院選挙の1票の価値をめぐっては、前回3年前の選挙の4.86倍の格差について、最高裁判所が「選挙制度の仕組み自体の見直しが必要で、国会において速やかに適切な検討が望まれる」と指摘しています。参議院の各会派でつくる改革協議会は、ことし5月、次回3年後の選挙に向けて選挙制度を見直すことを決めましたが、格差がさらに広がり、5倍を超えたことで国会の対応が問われることになります。

中国の大雨 140人以上死亡

中国南部で続く大雨による洪水や土砂崩れで、これまでに140人以上が死亡し、100万人以上の住民が避難するなど、被害が広がっています。

中国南部では今月13日から断続的に激しい雨が降り続き、広西チワン族自治区や広東省、それに福建省などの広い範囲で、川がはんらんするなどして洪水や土砂崩れが相次ぎ、被害が拡大しています。中国政府の発表によりますと、これまでに土砂に押し流されるなどして147人が死亡、93人が行方不明となっています。また、これまでに8万8000棟の家屋が倒壊し、109万人以上が避難生活を余儀なくされています。こうしたなか、中国国営のメディアは、温家宝首相が、被害の大きい広西チワン族自治区を20日まで2日間訪れ、地元政府関係者に対し、被害を最小限にとどめるよう指示したなどと伝えました。中国南部では今後も激しい雨が続くと予想されており、中国政府は新たな洪水や土砂崩れに警戒を呼びかけるとともに被災者の救援活動に全力で取り組む姿勢を示しています。

拉致被害者 ほかにも目撃か

来日しているキム・ヒョンヒ元死刑囚との面会を終えて、田口八重子さんの家族が記者会見し、八重子さん以外の日本人の拉致被害者について、キム元死刑囚が「見たことがあるような人物がいるので、そのことは日本の警察当局にも伝えている」と話したことを明らかにしました。
拉致被害者、田口八重子さんの家族は、日本を訪れている大韓航空機爆破事件の実行犯、キム・ヒョンヒ元死刑囚と長野県軽井沢町の別荘で、20日と21日、2日間にわたって面会しました。面会が終わったのは21日午後4時前で、八重子さんの長男の耕一郎さんは、近くのホテルで記者会見し、面会でのやりとりについて明らかにしました。この中で、耕一郎さんは、八重子さん以外の日本人の拉致被害者について、キム元死刑囚が「見たことがあるような人物がいるので、そのことは日本の警察当局にも伝えている」と話したことを明らかにしました。しかし、それ以上の詳細な情報について話はなかったということです。また、面会のときの様子については、「1時間半にわたっていっしょに料理を作り、食事をしながら歓談した。彼女は、八重子さんもいっしょにこのような穏やかな機会を持てるとよいですねと話していた」と明かしました。そのうえで、キム元死刑囚が、みずからの手帳に「お母さんは必ず戻ってきます。希望と勇気を持って下さい」などとメッセージを記したことを明らかにしました。

日本は島国だったんですね

 ジョーンズ氏:快適でした。ホテルの窓から見た富士山はすばらしい眺めでしたよ。  ジョーンズ夫人:富士山って、本当に美しいですね。  鈴木夫人:そうです。日本にはたくさんやまあありますが、高さも美しさも、やはり富士山が日本一です。一年中、その時期によって、いろいろ変わった美しさがあります。  鈴木氏:富士山は皮革手か簡単に登れるんですよ。今は五合目まで車で行けます  ジョーンズ氏:今回の旅行ではちょっと無理ですが、いつか登りたいですね。日本は国全体のどのていどが山地なんですか。  鈴木氏:70%くらいです。農業用地は14%、宅地は3%、工業用地はわずか0.4%しかありません。  ジョーンズ夫人:そんなに山が多いんですか。成田空港から東京まで、リムジンの中から見た感じでは平坦でしたけど……。子供のころには、日本学に島田ということも知らなかったんです。日本はアジア大陸の一部だと思ってましたのよ。  鈴木夫人:今でも、そう思っている欧米人は多いようですね。私も、アメリカに滞在しておりましたときにはパーディーでよく尋ねられて、日本が島国に出、北から北海道、本州、九州、四国の四つの大きな国からなっていることを説明したものですわ。  ジョーンズ氏:日本の面積は、アメリカ公衆国の25分の1くらいと聞きましたが……  鈴木氏:そうです。面接は約38万km2で、モンタナ州よりも小さいんですよ。その国は、アメリカの人口のほぼ半分の1億2500万人がしているわけです。ジョーンズ夫人:地図で見ますと、日本は相当細長い国ですが、どのくらいの延長距離があるんですわ。  ジョーンズ夫人:南と北ではずいぶん気温がるんですの。  鈴気風人:南北に3,00kmです。アメリカ公衆国の東海岸と西海岸までの4分の3ぐらいの距離ですわ。  ジョーンズ夫人:南と北ではずいぶん気温も違うんでしょうね。  鈴木夫人:日本の北の端がアメリカとカナダと国境と緯度がほぼ同じで、南の端メキシコ中央部辺利になります。ですから、かなり温度差があります。  鈴木氏:ところで、日本の真下をまっすぐに下って行くと、地球の裏側のどの辺に出ると思いますか。  ジョーンズ夫人:さあ、ちょっと想像つきませんわ。  鈴木氏:アルゼンチンだ  そうです。そして、東京からまっすぐ南に行くと、オーストラリア中央を通ります。西に行きますと、ジブラルタル海峡を通ります。東に行きますと、ちょうどがランドきャニオンの上を通ることになります。  ジョーンズ氏:なるほど。さっき富士山の話が出ましたが、ほかに有名な山でどんなものがありますか。  図好きし:本州の中央に日本アルプストイウ3,000m級の山脈があります。これは北?中央?南アルプスの三つの山脈から成っています。ちょうど。本州の背骨という感じです。また。ハワイのキラウエア火山のように活動している火山もいくつもあります。中でも、本州の浅間山、大島の三原山、九州にある雲仙岳、阿蘇山、桜氏などが有名です。  鈴木夫人:1986年の暮れには、大島、三原山が噴火し、島民全員、いいt万人以上の人が1かヶ月くらい東京都内に避難しました。1991年6月には、「雲仙岳?普賢岳」に伴う大火砕流で、死者?行方不明者43名を出し、一年後でも8,000人あまりの人が避難生活を余儀なくされました。

彼女の歌声

48歳になる「英国の達人」スーザン?ボイルは今、彼女の歌声で「奇跡」を創造している。スーザンのその透き通った美声で中国を虜にしている。今月19日、彼女の最新アルバム「夢やぶれて」が中国でも発売される。「湖南衛視(衛星テレビ)」は現在スーザンのマネージャーとの交渉を進めており、同局の春節(旧正月)大みそかの歌謡番組への出演を目指している。
  「湖南衛視」総編成室の李浩?主任によると、同局は今月11日にもマネージャーと交渉を行ったが、そのギャラは国内のどのトップスターをも超えているという。「言葉の問題も考えなければなりません。観客とコミュニケーションできるかどうか」。出演が実現するかについて、最終決定はまだだという。
  スーザンの中国での前途について、ワーナー?ブラザーズ?レコード中国地区元総裁の許暁峰氏は、「スーザンの音楽センスは受け入れられる」と太鼓判を押す。許氏は彼女が中国でコンサートを開くことには大賛成と語る。「多くの流行を追う国内の若者にとって、好奇心から彼女のコンサートへ赴くでしょう。しかし言葉が通じない、音楽があまりに専門的すぎるなどの問題から、彼女の人気が中国で広がるかどうか、私は保守的な態度をとります」。

函館「自由の女神」像撤去へ

北海道函館市の歴史的な建造物が建ち並ぶ地区に「自由の女神」をデザインした像が設置され、住民が撤去を求めていた問題で、像を設置した水産会社が来月、この像を撤去することになりました。
高さが6メートルある、この「自由の女神」像は、観光エリアとして人気がある函館市の西部地区で、地元の水産会社が新たにオープンさせた店舗に市民が自由に使えるスペースを設け、その目印になるようにと、先月、設置しました。しかし、西部地区は明治から大正にかけて建てられた歴史的建造物が多く、地元の住民からは「景観にそぐわない」として撤去を求める声が相次ぎ、函館市も撤去を勧告していました。この像について、水産会社の北村暢一社長は15日「住民から、像だけでなく、店の外観などにも反対する声が出て、営業にも影響が出かねなくなっている。直接、話をして理解を求めようと思ったが話し合いが進まず、撤去を決めた」と述べ、来月20日までに像を撤去する考えを示しました。

芥川賞・直木賞決まる

第143回芥川賞と直木賞の選考会が15日夜、東京で開かれ、芥川賞に赤染晶子さんの「乙女の密告」が、直木賞には中島京子さんの「小さいおうち」が選ばれました。

芥川賞の受賞が決まった赤染晶子さんは京都府舞鶴市出身の35歳。大学院を修了後、平成16年に、デビュー作の「初子さん」が文芸誌の新人賞を受賞しました。芥川賞は、今回、初めての候補で受賞を果たしました。初めての候補での芥川賞受賞は、諏訪哲史さん以来、3年ぶりです。受賞作の「乙女の密告」は、京都の外国語大学に通う女子大学生が主人公です。学生たちの間で広がるうわさ話に惑わされる主人公が、ユダヤ人の迫害を描いた「アンネの日記」に心情を重ね合わせる様子を描いています。発表後の記者会見で赤染さんは「すごく驚いています。今後も生まれ育った京都の街をユーモラスに伝え、現代の文学がテーマにしていることばやアイデンティティーといったテーマを書いていきたい」と話していました。一方、直木賞の受賞が決まった中島京子さんは東京都出身の46歳。日本語学校の教師や出版社の編集者などをへて平成15年に近代日本文学の作家・田山花袋の「蒲団」を妻の視点で書いた「FUTON」でデビューしました。著名な作品の設定を巧みに取り入れた、いわば「本歌取り」の手法による作品を発表し続け、直木賞は今回初めての候補で受賞を果たしました。受賞作の「小さいおうち」は、昭和初期から戦後にかけての東京を舞台に、郊外のある家庭の人間模様を描いた物語です。家のお手伝いさんの回想を通じて、戦争に巻き込まれていく家族の思いや秘められた恋愛などが明らかにされていきます。記者会見で中島さんは「昭和の時代に以前から興味があり、書くなら今だという思いがありました。今後も、自分でやってみたいことを次々に見つけて挑戦していくというスタイルで書いていきたい」と話しました。芥川賞と直木賞の贈呈式は来月、東京で行われます。芥川賞の選考委員の1人で作家の小川洋子さんは、受賞が決まった赤染晶子さんの「乙女の密告」について、「『アンネの日記』という歴史的な書物の中で、アンネ・フランクを密告したのは誰かという大きな問題を小説の中に取り込んで、個人のアイデンティティーの問題として、それに答えを出そうとしたという小説の作り方が非常に巧妙だ」と述べました。一方、直木賞の選考委員の1人の林真理子さんは、受賞が決まった中島京子さんの「小さいおうち」について、「戦前の中産階級の家庭が生き生きとリアルに描けており、登場人物のリアルさや戦前の資料の読み込み方も優れている」と述べました。一方で、今回の直木賞の候補作を通しては「小説が売れない時代に直木賞が大きな指針を示さなければならないなかで、受賞作も含めて小粒な作品が目立った」と辛口の評価を述べていました。

博多祇園山笠 勇壮「追い山」

博多伝統の夏祭り、博多祇園山笠は、祭りの最後を締めくくる「追い山」が行われ、夜明けの博多の町を「舁(か)き山」が勇壮に駆け抜けました。

博多祇園山笠は、770年ほど前に博多の町で流行した疫病を払うため、町人に担がれた僧りょが町なかを清めて回ったことが起源とされています。15日は、祭りの最後を締めくくる追い山で、はっぴに締め込み姿の男衆が重さが1トン余りもある舁き山を担いで、全長およそ5キロのコースを次々に駆け抜けます。午前4時59分、太鼓の合図で、ことしの一番山笠、中洲流(なかすながれ)の舁き山が「ヤー」という大きな掛け声とともに櫛田神社の境内になだれ込みました。舁き山は、清道旗(せいどうき)と呼ばれる旗を回り、博多の祝い歌「祝いめでた」を歌い上げたあと、境内に詰めかけた大勢の人たちの声援を受けながら、雨の降る夜明けの博多の町に駆け出していきました。ほかの7つの「流」(ながれ)の舁き山も5分おきにスタートし、沿道の人たちから「勢い水」(きおいみず)と呼ばれる力水を浴びながら、「おいさ、おいさ」の掛け声とともに、博多の町を勇壮に駆け抜けていきました。

占いタコ”引退 静かに余生

サッカーワールドカップ南アフリカ大会で、ドイツが出場した試合と決勝の、勝敗の予想をすべて的中させたとして、世界的な人気者になった、ドイツの水族館のタコ、パオルは、今後、占いの世界からは引退し、静かに水族館で余生を送ることになりました。

餌の貝が入った2つのケースのどちらを選ぶかで試合の勝敗を占ったパオルは、ドイツが出場した試合とオランダ対スペインの決勝の、あわせて8試合すべての勝敗の予想を的中させたとして、一躍、世界の人気者になりました。スペインの優勝から一夜明けた12日、パオルにも優勝トロフィーのレプリカに大好きな貝を載せてご褒美が与えられ、パオルは早速8本の足でトロフィーに抱きつき、おいしそうに食べていました。水族館によりますと、パオルには「ブラジル代表チームの監督が誰になるのか占ってほしい」など、引き続きサッカーをめぐる占いの依頼をはじめ、テレビ出演の依頼などが世界各地から寄せられているということです。しかし、マダコのパオルは2歳半で、タコとしては高齢のため、水族館では静かに余生を送らせたいとして、占いの世界からは引退させ、今後は水族館を訪れる人たちだけにパオルの雄姿を楽しんでもらうことにしています。

東方の賢者

しかし、デラは櫛を胸に抱きました。そしてやっとの思いで涙で濡れた目をあげ、微笑んでこう言うことができました。「わたしの髪はね、とっても早く伸びるのよ、ジム!」

  そしてデラは火で焼かれた小猫のようにジャンプして声をあげました。「きゃっ、そうだ!」

  自分がもらう美しい贈り物をジムはまだ見ていないのです。デラは手のひらに贈り物を乗せ、ジムに思いを込めて差し出しました。貴金属の鈍い光は、デラの輝くばかりの熱心な気持ちを反射しているかのようでした。

  「ねえ素敵じゃない、町中を探して見つけたのよ。あなたの時計にこの鎖をつけたら、一日に百回でも時間を調べたくなるわよ。時計、貸してよ。この鎖をつけたらどんな風になるか見たいの」

  デラのこの言葉には従わず、ジムは椅子にどさりと腰を下ろし、両手を首の後ろに組んでにっこりと微笑みました。

  「ねえデラ。僕達のクリスマスプレゼントは、しばらくの間、どこかにしまっておくことにしようよ。いますぐ使うには上等すぎるよ。櫛を買うお金を作るために、僕は時計を売っちゃったのさ。さあ、チョップを火にかけてくれよ」

  東方の賢者は、ご存知のように、賢い人たちでした —— すばらしく賢い人たちだったんです —— 飼葉桶の中 にいる御子に贈り物を運んできたのです。東方の賢者がクリスマスプレゼントを贈る、という習慣を考え出したのですね。彼らは賢明な人たちでしたから、もちろん贈り物も賢明なものでした。たぶん贈り物がだぶったりしたときには、別の品と交換をすることができる特典もあったでしょうね。さて、わたくしはこれまで、つたないながらも、アパートに住む二人の愚かな子供たちに起こった、平凡な物語をお話してまいりました。二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。しかしながら、今日の賢者たちへの最後の言葉として、こう言わせていただきましょう。贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だったのです。贈り物をやりとりするすべての人の中で、この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。彼らこそ、本当の、東方の賢者なのです。

髪型とか肌剃

ジムはぼうっとした状態からはっと戻り、デラを抱きしめました。さて、それではここで10秒間、趣を変えたささやかな事柄について控え目に吟味をしてみましょう。週8ドルと年100万ドル —— その違いは何でしょうか。数学者や知恵者に尋ねたら、誤った答えが返って来るでしょう。東方の賢者は高価な贈り物を持ってきましたが、その中に答えはありませんでした。何だか暗いことを申しましたが、ここで述べた言明は、後にはっきりと光り輝くことになるのです。

  ジムはオーバーのポケットから包みを取り出すと、テーブルに投げ出しました。

  「ねえデラ、僕のことを勘違いしないで。髪型とか肌剃とかシャンプーとか、そんなもので僕のかわいい女の子を嫌いになったりするもんか。でも、その包みを開けたら、はじめのうちしばらく、どうして僕があんな風だったかわかると思うよ」

  白い指がすばやく紐をちぎり紙を破りました。そして歓喜の叫びが上がり、それから、ああ、ヒステリックな涙と嘆きへと女性らしくすぐさま変わっていったのです。いそいで、そのアパートの主人が必死になって慰めなければなりませんでした。

  包みの中には櫛(くし)が入っていたのです —— セットになった櫛で、横と後ろに刺すようになっているものでした。その櫛のセットは、デラがブロードウェイのお店の窓で、長い間あがめんばかりに思っていたものでした。美しい櫛、ピュアな亀甲でできていて、宝石で縁取りがしてあって —— 売ってなくなった美しい髪にぴったりでした。その櫛が高価だということをデラは知っていました。ですから、心のうちでは、その櫛がただもう欲しくて欲しくてたまらなかったのですけれど、実際に手に入るなんていう望みはちっとも抱いていなかったのです。そして、いま、この櫛が自分のものになったのです。けれども、この髪飾りによって飾られるべき髪の方がすでになくなっていたのでした。

綺麗で素敵なプレゼント

デラはテーブルを回ってジムの方へ歩み寄りました。

  「ジム、ねえ、あなた」デラは声をあげました。「そんな顔して見ないで。髪の毛は切って、売っちゃったの。だって、あなたにプレゼント一つあげずにクリスマスを過ごすなんて絶対できないんだもの。髪はまた伸びるわ —— 気にしない、でしょ? こうしなきゃ駄目だったの。ほら、わたしの髪ってすごく早く伸びるし。「メリー?クリスマス」って言ってよ、ジム。そして楽しく過ごしましょ。どんなに素敵な —— 綺麗で素敵なプレゼントをあなたに用意したか、当てられないわよ」

  「髪を切ったって?」とジムは苦労しつつ尋ねました。まるで、懸命に頭を働かせても明白な事実にたどり着けないようなありさまでした。

  「切って、売っちゃったの」とデラは言いました。「それでも、わたしのこと、変わらずに好きでいてくれるわよね。髪がなくても、わたしはわたし、よね?」

  ジムは部屋をさがしものでもするかのように見まわしました。

  「髪がなくなっちゃったって?」ジムは何だか馬鹿になったように言いました。

  「探さなくてもいいのよ」とデラは言いました。「売っちゃったの。だから、—— 売っちゃったからなくなったのよ。ねえ、クリスマスイブでしょ。優しくして。髪がなくなったのは、あなたのためなのよ。たぶん、わたしの髪の毛の一本一本まで神様には数えられているでしょうね」デラは急に真面目になり、優しく続けました。「でも、わたしがあなたをどれだけ愛しているかは、誰にもはかることはできないわ。チョップをかけてもいい、ジム?」

生真面目

 ジムは決して遅れることはありませんでした。デラは時計の鎖を手の中で二重に巻き、彼がいつも入ってくるドアの近くのテーブルの隅に座りました。やがて、ジムがはじめの階段を上ってくる足音が聞こえると、デラは一瞬顔が青ざめました。デラは毎日のちょっとしたことでも小さな祈りを静かに唱える習慣がありましたが、このときは「神さま。どうかジムがわたしのことを今でもかわいいと思ってくれますように」とささやきました。

  ドアが開き、ジムが入り、ドアを閉めました。ジムはやせていて、生真面目な顔つきをしていました。かわいそうに、まだ22歳なのに —— 彼は家庭を背負っているのです。新しいオーバーも必要だし、手袋もしていませんでした。

  ジムは、ドアの内で立ち止まりました。うずらの匂いにじっとしている猟犬と同じように、そのまま動きませんでした。ジムの目はデラに釘付けでした。そしてその目には読み取ることのできない感情が込められていて、デラは恐くなってしまいました。それは憤怒ではなく、驚嘆でもなく、拒否でもなく、恐怖でもなく、デラが心していたどんな感情でもありませんでした。ジムは顔にその奇妙な表情を浮かべながら、ただ、じっとデラを見つめていたのです。

価値を主張

そしてとうとうデラは見つけたのです。それは確かにジムのため、ジムのためだけに作られたものでした。それほどすばらしいものはどの店にもありませんでした。デラは全部の店をひっくり返さんばかりに見たのですから。それはプラチナの時計鎖で、デザインはシンプルで上品でした。ごてごてした飾りではなく、素材のみがその価値を主張していたのです —— すべてのよきものがそうあるべきなのですが。その鎖は彼の時計につけるのにふさわしいとまで言えるものでした。その鎖を見たとたん、これはジムのものだ、とデラにはわかりました。この鎖はジムに似ていました。寡黙だが、価値がある —— この表現は鎖とジムの両者に当てはまりました。その鎖には21ドルかかり、デラは87セントをもって家に急いで帰りました。この鎖を時計につければ、どんな人の前でもちゃんと時間を気にすることができるようになるでしょう。時計はすばらしかったのですが、鎖の代わりに古い皮紐をつけていたため、ジムはこそこそと見るときもあったのです。

  デラが家に着いたとき、興奮はやや醒め、分別と理性が頭をもたげてきました。ヘアアイロンを取り出し、ガスを着けると、愛に気前の良さを加えて生じた被害の跡を修繕する作業にかかりました。そういうのはいつも大変な仕事なのですよ、ねえあなた —— とてつもなく大きな仕事なのですよ。

  40分のうちに、デラの髪は小さく集まったカールで覆われました。髪型のせいで、まるで、ずる休みした学童みたいに見えました。デラは、鏡にうつる自分の姿を、長い間、注意深く、ためつすがめつ見つめました。

  「わたしのことを殺しはしないだろうけれど」とデラは独り言をいいました。「ジムはわたしのことを見るなり、コニーアイランドのコーラスガールみたいだって言うわ。でもわたしに何ができるの —— ああ、ほんとうに1ドル87セントで何ができるっていうの?」
  7時にはコーヒーの用意ができ、フライパンはストーブの上にのり、チョップを焼く準備ができました。

薔薇

さて、そのデラの美しい髪は褐色の小さな滝のようにさざなみをうち、輝きながら彼女のまわりを流れ落ちていきました。髪はデラの膝のあたりまで届き、まるで長い衣のようでした。やがてデラは神経質そうにまた手早く髪をまとめあげました。ためらいながら1分間じっと立っていました。が、そのうちに涙が一粒、二粒、すりきれた赤いカーペットに落ちました。

  デラは褐色の古いジャケットを羽織り、褐色の古い帽子をかぶりました。スカートをはためかせ、目にはまだ涙を光らせて、ドアの外に出ると、表通りへ続く階段を降りていきました。

  デラが立ち止まったところの看板には、「マダム?ソフロニー.ヘア用品なら何でも。」と書いてありました。デラは階段を一つかけのぼり、胸をどきどきさせながらも気持ちを落ち着けました。女主人は大柄で、色は白すぎ、冷ややかで、とうてい「ソフロニー」という名前のようには見えませんでした。

  「髪を買ってくださいますか」とデラは尋ねました。

  「買うさ」と女主人は言いました。「帽子を取って見せなさいよ」

  褐色の滝がさざなみのようにこぼれ落ちました。

  「20ドル」手馴れた手つきで髪を持ち上げて女主人は言いました。

  「すぐにください」とデラは言いました。

  ああ、それから、薔薇のような翼に乗って2時間が過ぎていきました。 ……なんて、使い古された比喩は忘れてください。デラはジムへの贈り物を探してお店を巡っておりました。

女王様の宝石

 デラは泣くのをやめ、頬に白粉をはたくのに意識を集中させました。デラは窓辺に立ち、灰色の裏庭にある灰色の塀の上を灰色の猫が歩いているのを物憂げに見ました。明日はクリスマスだというのに、ジムに贈り物を買うお金が1ドル87セントしかありません。何月も何月もコツコツとためてきたのに、これがその結果なのです。週20ドルでは、大したことはできません。支出はデラが計算した以上にありました。支出というものはいつだってそういうものでした。ジムへの贈り物を買うのに1ドル87セントしかないなんて。大切なジムなのに。デラは、ジムのために何かすばらしいものをあげようと、長い間計画していたのです。何か、すてきで、めったにないもの —— ジムの所有物となる栄誉を受けるに少しでも値する何かを。

  その部屋の窓と窓の間には姿見の鏡が掛けられていました。たぶんあなたも8ドルの安アパートで見たことのあるような姿見でした。たいそう細身で機敏な人だけが、縦に細長い列に映る自分をすばやく見てとって、全身像を非常に正確に把握することができるのでしょう。デラはすらっとしていたので、その技術を会得しておりました。

  急にデラは窓からくるりと身をひるがえし、その鏡の前に立ちました。デラの目はきらきらと輝いていましたが、顔は20秒の間、色を失っていたのでした。デラは手早く髪を下ろし、その長さいっぱいまで垂らしました。

  さて、ジェームズ?ディリンガム?ヤング家には、誇るべき二つのものがありました。一つはジムの金時計です。かつてはジムの父、そしてその前にはジムの祖父が持っていたという金時計。もう一つはデラの髪でした。シバの女王が通風縦孔の向こう側のアパートに住んでいたとしましょう。ある日、デラが窓の外にぬれた髪を垂らして乾かそうとしたら、それだけで、女王様の宝石や宝物は色あせてしまったことでしょう。また、ソロモン王がビルの管理人をやっていて、宝物は地下室に山積みしていたとしましょう。ジムが通りがかりに時計を出すたび、王様はうらやましさのあまり、ひげをかきむしったことでしょう。

家の主婦

1ドル87セント。それで全部。しかもそのうち60セントは小銭でした。小銭は一回の買い物につき一枚か二枚づつ浮かせたものです。乾物屋や八百屋や肉屋に無理矢理まけさせたので、しまいに、こんなに値切るなんてという無言の非難で頬が赤くなるほどでした。デラは三回数えてみました。でもやっぱり1ドル87セント。明日はクリスマスだというのに。

  これでは、まったくのところ、粗末な小椅子に突っ伏して泣くしかありません。ですからデラはそうしました。そうしているうちに、人生というものは、わあわあ泣くのと、しくしく泣くのと、微笑みとでできており、しかも、わあわあ泣くのが大部分を占めていると思うようになりました。

  この家の主婦が第一段階から第二段階へと少しづつ移行している間に、家の様子を見ておきましょう。ここは週8ドルの家具付きアパートです。全く筆舌に尽くしがたいというわけではないけれど、浮浪者一掃部隊に気をつけるためにアパートという名前をつけたに違いありません。

  階下には郵便受けがありましたが手紙が入る様子はなく、呼び鈴はありましたが人間の指では鳴らせそうもありません。その上には「ミスター?ジェームズ?ディリンガム?ヤング」という名前が書かれた名刺が貼ってありました。

  その「ディリンガム」の文字は、その名の持ち主に週30ドルの収入があった繁栄の時代にはそよ風にはためいてきました。でもいまや収入は20ドルに減ってしまい、文字たちはもっと慎ましく謙遜な「d」一文字に押し縮めようかと真剣に考えているようでした。しかし、ジェームズ?ディリンガム?ヤング氏が家に帰って二階のアパートに着くと、すでにデラとしてご紹介済みのジェームズ?ディリンガム?ヤング夫人が、「ジム」と呼びながら、いつでもぎゅうっと夫を抱きしめるのでした。これはたいへん結構なことですね。